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Gaia United

It's a Random World

新しいゲームのはじまり、ルールは不確実性

あらゆる領域に不確実性が侵入し、安心できる世界が終わりを告げるという状況は、不確実性自体がゲームの規則になりさえすれば、すこしも否定的な宿命ではない

—— ジャン・ボードリヤール

不確実であるとは、まだ何も決まっていないということ。まだ決まっていないとは、あらゆる可能性が、いまだ開かれたままだということ。世界は閉じていない。オープンエンドなのです。

ランダムは、欠落ではない。まだ形をとっていない、無限の可能性そのもの。そして、あらゆる創造と革新は、そこからしか生まれない。

政治学者ブライアン・クラースは、『Fluke(邦題は、「偶然」はどのようにあなたをつくるのか)』においてこう言います。私たちは何も支配できない、しかしすべてに影響を与えている、と。世界は無数の偶然の連鎖でできていて、ほんの小さな揺らぎが歴史を書き換える。フランス・ヨハンソンが「クリック・モーメント」と呼んだ転機も同じです。成功は、計画ではなく、予測できない一瞬の交差から生まれる。私たちにできるのは、その偶然に自らを開き、小さな賭けを重ね、訪れた瞬間を掴むことだけ。

ランダムさは、ただの混沌ではない。万物がそこから立ち現れる、尽きせぬ源です。

手中のものから始める

手中のものから始める

経営学者サラス・サラスバシーは、成功を重ねた起業家たちの思考を調べ、共通点を見つけました。彼らは未来を予測しない。目標から逆算もしない。いま手元にある手段から始め、許容できる損失だけを賭け、道中で出会う偶然を資源に変えながら、目的地そのものを更新していく。この思考の型を、彼女はエフェクチュエーションと名づけました。

だから、今に没入する

だから、「今」に没入する

未来が不確実なら、予測の精度を上げても仕方がない。賭けるべきは「今」への集中です。弓道でいう「会(かい)」。弓を引き、伸び続ける持満の境地。射手は的を狙うのではなく、この今を満たしきる。会に満ちれば、離れはひとりでに訪れる。

グッドハートの法則は警告します。指標が目標になった瞬間、それは良い指標ではなくなる、と。AI研究者のケネス・スタンリーとジョエル・レーマンは、さらに踏み込みます。偉大なものは、そもそも計画できない。明確な目標を掲げること自体が、しばしば到達を妨げる「目標という幻想」なのだ、と。予測された数字を追うほど、目の前の現実は歪んでいく。だから私たちは、人工的な目標から逆算して市場をこじ開けようとはしません。オープンエンドに、いまの手応えをたどっていく。マーク・アンドリーセンが説いたPMF(プロダクト・マーケット・フィット)も、スケールを作為するものではなく、市場との今この瞬間の中で掴みとるものです。

流れが、構造を生む

流れが、構造を生む

エイドリアン・ベジャンのコンストラクタル法則は明かします。流れのシステム——川の支流、樹木の枝、都市の交通、そして市場——は、より大きなアクセスを提供する構成へと、自然に進化する。枝分かれし、姿を変え、いっそう流れやすい形を探し当てていく。作為はない。それでも、見かけの混沌から構造が立ち現れる。ランダムネスにもかかわらずではなく、ランダムネスを通じて。

実在は関係である

実在は「モノ」ではなく「関係」である

理論物理学者カルロ・ロヴェッリは、量子力学の関係論的解釈にたどり着きました。世界は、それ自体で存在する独立した「モノ」の集まりではない。何ものも、他と相互作用するまで、いかなる性質も持たない。実在とは、関係のことである。ロヴェッリはここに、二世紀の仏教哲学者・龍樹の言葉を重ねます。何ものも単独では生じない。すべては、たがいに依存して共に起こる縁起。物理学のもっとも硬い先端が、東洋の古い洞察と交差する場所です。

変化は、はるか昔からコードだった

変化は、はるか昔からコードだった

三千年前、中国の『易』は変化そのものを読もうとしました。陰と陽、切れた線と繋がった線が織りなす六十四卦。絶えず移ろう世界を記述する、古代の技術です。時を経て、ライプニッツが二進法を発明する。0と1、無からの創造。彼はイエズス会士ブーヴェを通じて易の卦に出会い、そこに自らの二進法とまったく同じ構造を見ました。爻は、0と1になった。その二進法が、やがてあらゆる計算機の基層となり、いま私たちが言葉を交わすAIの土台になっている。不確実性と向き合うための古代の術が、めぐりめぐって、AI時代の言語そのものになったのです。

だから、リベラルアーツ

だから、リベラルアーツ

起業家の方法論。射手の集中。流れの物理学。関係としての実在。占いから計算へと続く三千年の系譜。一見ばらばらのこれらを一本の線で貫くとき、はじめて世界の像が結ばれます。異なる知の交差点でこそ、予測できない「クリック・モーメント」は生まれる。領域の壁を越えて結び直すこの営みを、私たちはリベラルアーツと呼びます。

なぜ、AIの時代にこそリベラルアーツなのか。AIは、専門知識も実行も、限りなく安く、速く、無限に供給します。答えが無尽蔵に湧き出す世界で、希少になるのは答えではない。問いを立てる力、意味を見極める眼、異なる領域を結ぶ判断力です。しかもAIそのものが、易からライプニッツへと続くこの系譜の子でもある。その出自を知る者だけが、それを深く使いこなせる。

不確実性は消えません。だからこそ、予測でも最適化でもたどり着けない場所へ、偶然を資源に変え、流れを読み、知を結び直す知性が要る。これは思索のための思索ではありません。私たちの仕事の作法そのものです。新しい事業を起こすとき。市場との手応えを掴みにいくとき。組織を、変化の流れに乗る形へと組み替えるとき。私たちはこの知性を持ち込みます。

未来は予測できない。しかし、不確実性の中で動く術を知れば、形づくることはできる。ランダムな世界で、私たちは制御を求めません。流れを求めます。

未来は予測できません。けれど、構想することはできます。そして構想には素材がいる。歴史を知らなければ反復のパターンは読めず、哲学と文学がなければ、ありうる世界を語る言葉が足りません。リベラルアーツとは過去の教養ではなく、まだ存在しない世界を構想するための想像力の源泉です。ランダムな世界を、恐れる理由はない。

アイディアが、カタチになる。
リベラルアーツでAI時代を切り拓く。